今回は、なぜ私がこの年になって大学院生をやっているのか!ということをお話ししようと思います!(興味ある人いるのかな?)。私は心理とは全然関係ない学部を卒業しました。それで、社会人になってうつになったことをきっかけに心理に再び興味を持つようになり、今に至ります。そんな今までを軽く振り返ってみました。
★もくじ★
◇新卒で入った会社をうつ病で辞めるまで
◇パートで社会復帰を狙う。念願の正社員にもなった!
◇うつ病で悩む人を支えられる心理カウンセラーになりたいと思うように
◇臨床心理士ができることってささやかだな
◇自信はなくなり、不安は募る一方。
◇好きなことのはずだったんだけど
◇できそうなことって何だろう
新卒で入った会社をうつ病で辞めるまで
大学の学部は文系だったのだけれど、プログラミングができるようになれば後々フリーでも仕事できるのかなとか何とか思いIT企業へ入社しました。研修中はまあよかったのだけど、配属先が忙しく、8:45始業の21:00、22:00退社は当たり前という感じで、もっと激務の人もいるのは分かっているのだけど、私にはこれが堪えました。
入社して1年目の12月に双極性障害と言われたのですが、私にも家族にも躁の状態には心当たりがありませんでした。体調が悪いと言うたびに薬が増えて、この病院に通い続けるのは不安になりました。その間にも体調は戻らず退職しました。お医者さんが、「休みなさい、辞めてゆっくりしなさい」という考え方の人だったのも影響が大きかったのかもしれません。
パートで社会復帰を狙う。念願の正社員にもなった!
病院の治療に納得していなかったので転院しました。そこで薬も整理されて元気になっていきました。傷病手当が1年6ヶ月もらえるので、期限いっぱいまでもらってから病院の受付のパートとして働き始めました。採用されたときは社会に必要とされている気がしてとても嬉しかったのを覚えています。夫の転職の都合で半年で辞めるまでの間頑張りましたが、どうしても緊張が強く、始業前にはほぼ必ず少し吐いていました。この後、転職活動をして総務の職に正社員として採用されました。この時もとても嬉しかったです。このまま元気になって、普通に働いてお金を稼げるようになるものと思っていました。しかし、どんどん体調が悪くなり、就業中に気持ち悪くなるようになりました。朝涙が出て出社できなくなり、半年で退職しました。これはとてもショックでした。
うつ病で悩む人を支えられる心理カウンセラーになりたいと思うように
私にみたいに働いてうつ病になる人、その後仕事で困っている人は他にもいるだろうから、そんな人たちを支援したいと思うようになりました。心理学自体には高校時代から興味があったのですが、「人はお金でも動くよ。人を動かすものについて学ぶという視点もあるんじゃないかな」と面談で当時の担任に言われ、なるほどと思い、経済学部を目指しました。受験生の時期に政権交代があったので、政治にも興味がわき、結局政治と経済が学べる学部に進学しました。
1社目も、2社目の総務も、100%自分がやりたいと思った仕事ではなかったので、やりたいことを仕事にしてみたら続くのではないかという考えから、親と夫に相談して、臨床心理士を目指すことにしました。臨床心理士になるには指定の大学院を出なければならないので、アルバイトをしながら院試のために予備校に通いました。結果合格したのですが、嬉しいという気持ちもあり、表面を聞く筆記テストは得意だからなという思いもありました。本当に適していなくても、筆記は合格できてしまうという自分に対する疑いがありました。嬉しさはあり、自信にはならず、そんな状態で院に入りました。
臨床心理士ができることってささやかだな
臨床心理士って、相談に来た人の代わりに決めるとか、そんなことはしないんですよね。お話を聞いて、その人が決めていくこととか、変わっていくことをお手伝いする。少しの間一緒に歩いたり走ったりするイメージです。もちろん、この人が困っている理由はこういうことが背景にあるからじゃないかな?こういう負のスパイラルに入っているのでは?ということは考えて対処はしていきますが、やはり寄り添うというイメージです。必要ならぶつかるときもありますけどね。
時間をかけてゆっくり向き合っていく、大切な仕事だと思います。心療内科のお医者さんだって、そんなに話を聞いてはくれません。聞いてくれる方の先生でも、やっぱりお薬は処方されるし、薬頼みなのかなーという気持ちになります。心理士のお給料って大学院を出ないといけない割にそんなに高くないし、正社員の職だって少ないです。知っていたのですが、実際大学院に入って大切で大変な仕事だなと感じるにつれて、その割に給与や安定性が低いと将来への不安も増していきました。
自信はなくなり、不安は募る一方。
夏休み、冬休み、そして今は春休み。絶好の研究を進める機会なのですが、へばってしまっていてそれどころではありません。体を休めて休み明けの講義に備えなければ。一度社会人を経験すると、全部参加できることを前提に組まれているカリキュラムに違和感を持ったりするんです。いつもアクセル全開なスケジュールだなって。誰だって疲れる時はあるし、女性は月経もあるし、途中休憩がしづらい環境だなと思います。ずっと健康で調子が良ければバリバリ行けますが、それができない時が本当につらい。
そしてとうとう、朝号泣するフェーズに突入しました。夫は頑張れると言ってくれるのですが、私はこれから学年が上がりもっと忙しくなるのに人前で泣かずにいられるのか、勉強を続ける時間を取れるだけ寝込まずにいられるのか不安でたまりません。年齢もアラサーで、キャリア的にも後に引けないなとは思いますが、院を続けるにはつらいなと思い始めています。
大学院のカリキュラムでこうなのだから、もう正社員で働くことは無理だと思うようになりました。パートタイマーの心理士の職に就けても、責任の重さに耐えられない気がしています。私は忙しさと責任に弱いのでは?と思ったのです。それら両方を避けないと、私は体調を崩して結局辞めることになるのではと。
好きなことのはずだったんだけど
今度こそ興味のあることを仕事にするぞと意気込んで、親にも夫にも協力してもらってやってきました。でも、折れそうになっています。うまく勉強も研究もできません。ただ講義に出て最低限のレポートを出し続けるばかりです。こんなやり方できちんと仕事ができる心理士になれるとも思いません。自分がどんどん情けなく感じてくるのです。
院に通いながら、今すぐ辞めて働いてお金を稼ぎたくなる時もありました。自分ばかり収入がないことが夫に申し訳なかったからです。でも、いざ辞めたいと思っても夫や親に申し訳なくなります。もう社会のレールの上には戻れないなと感じています。
できそうなことって何だろう
仮に院を辞めたら私はどうすればいいのだろう。何ならできるのだろう。責任にも忙しさにも弱い私ができること。その時、文章を書くことは好きだな、できるかもしれないなと思いました。家のインテリアとか、どうしたらお得に生活できるかとか、楽に生活できるかとか、そういう話が好きです。とりあえずそれを文章にしてみようと思いました。現実逃避のひとつですね、きっと。でも、それでも少しでも誰かにとって利益のある情報を発信できたらいいなと思います。どうすれば私でも体調を崩さずにお金を稼ぐことができて、生きていけるのかを考え中です。
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